【ぱしふぃっく びいなす 2019】語りべマスオの父島歴史ガイドツアー①[3日目-8]
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※ぱしふぃっく びいなす 2019クルーズ記は、2019年3月1日~3月6日の時のものです。
【小笠原クルーズスケジュール】
2日目 3月2日 終日航海
3日目 3月3日8時30分 小笠原・父島入港 ⇐ 今ココです
5日目 3月5日 終日航海
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街中散策後、 ハートロックカフェでランチ[3日目-7]のつづきです。
ハートロックカフェでランチを楽しみ、二見港に戻ってきました。
午後からはオプションツアーの小笠原の歴史を感じる!父島歴史ガイドツアーです。
13時20分スタートです。3時間で9,000円です。個人でお願いしたほうが安いです。でも、ガイドのマスオさんのわかりやすい説明のおかげで9,000円は決して高いものではありませんでした。
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二見港の岸壁からスタートです。マスオさんが車で迎えに来てくれます。
ワゴン車に、ガイドのマスオさんと2組の夫婦だけなので、すごくゆったり乗ることができました。
お祭り広場にあるラドフォード校跡です。
アメリカ施政権下の1956年に設立された9年制の学校の跡地です。
小笠原諸島は昭和20年(1945年)にアメリカ軍に占領され、昭和43年(1968年)の小笠原本土復帰まで、23年間もの間、アメリカに統治されていました。その時に作られた学校です。
行幸記念碑、こちらは、昭和2年(1927年)即位して間もない昭和天皇が父島に行幸された記念碑です。
この記念碑はよく見ると真ん中で割れています。上の部分が古く、下の部分が新しいです。記念碑は昭和2年の昭和天皇を記念して作られたものですが、太平洋戦争の空襲で破壊されました。公園整備工事のとき上の部分が出土。下の部分はみつからなかったようです。
上は昭和時代、下は平成時代の碑です。昭和と平成の合体碑は貴重ですね。
平成6年(1994年)平成天皇と美智子皇后両陛下が行幸された記念碑です。
碑の表は「行幸啓記念」です。今回はあえて裏面を載せました。「平成六年二月十二日 行幸啓」平成もあとわずかなので。
新天皇と雅子妃もいつの日かお見えになるでしょうか。そしたらここに昭和、平成、新年号の行幸碑が並ぶでしょうね。
マスオさんの話によると、秋篠宮紀子様と悠仁親王も父島にお見えになったそうです。
清瀬隧道、ここは午前中も来ましたが、今回は中に入らなかったので、午前中歩いてよかったです。
昭和19年の空襲のとき、ここは防空壕として使われてました。硫黄島の島民もここに避難しています。硫黄島の人々は父島経由で内地に疎開したのですが、疎開に関してはひとり手荷物2個までと決められていたそうです。
清瀬隧道から少し先にいったところにある慰霊碑です。
何か書かれているのがわからないですが、ビールなどがお供えしてありました。
碑の横、柵で囲われているのが防空壕。ちょっと歩くだけでいろいろとありますね。それだけここが大変な地だったということがわかります。
小笠原島司阿利君紀功碑です。これ案内板もないので、もしマスオさんと一緒じゃなければスルーしたと思います。すごく大きな立派な碑ですが。。。
碑文をよく見ると「阿利君」あります。阿利君とは、阿利孝太郎氏のことで、7代目の島司(東京府小笠原島庁の所長)で明治29年から20年以上、島司をつとめた方です。
この碑は阿利氏が在任中に建てられたものです。普通、自分が在任中に功績を記した碑なんて建てないと思うんですが。そういう意味では貴重な碑ですね。
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つづく